高麗人参の歴史
高麗人参は、名前の通り高麗から伝来したものと言われていました。高句麗は、現在の中国の北東部から朝鮮半島を含むエリアに存在していました。そのため、今でも高麗人参は中国や韓国から輸入するものが多くを占めています。その歴史の始まりは、紀元前1世紀の「急就草」という中国の文献に記録されたことから始まっています。
中国では漢方書に高麗人参の効果に関する記述が残っているほか、秦の始皇帝も愛飲していたと伝えられています。日本には西暦740年頃に伝来したと記録が残っており、当時の聖武天皇に渤海文王の使いが献上したと言われています。正倉院に収蔵されている文献では、光明天皇(1322~1380年)が高麗人参を生薬として、人にも勧めた記録が残されています。
徳川家康が栽培に挑戦したと言う説もありますが、徳川吉宗の時代になってから、日光の御薬園にて栽培が行われるようになりました。ただし、この際に使用されたのは朝鮮半島から輸入した高麗人参の種だったため、国産の高麗人参ではありません。その後、高麗人参の種を取れる段階に至り、将軍が大名に対して、その種を配布したことから、オタネ(御種)ニンジンと呼ばれるようになりました。
日本で国産高麗人参が取れるようになったのは、1728年の事との記録があります。さらに、32年後の1760年には御薬園で栽培される高麗人参は5万株にも上ったと伝えられています。
このように、高麗人参には紀元前1世紀の中国から始まった長い歴史があります。高麗人参はサポニンやジンセノサイドのような有効成分の他、体力回復に最適なアルギニンや、健康維持の欠かせないアミノ酸、ビタミンやミネラルを豊富に含んでいることから、時の権力者たちがその効果に期待を寄せていました。現代に至るまでの長きに渡って、人々の健康維持や促進に対して役立っています。
高麗人参の栽培方法や技術は、現代まで伝わっており、福島県・長野県・島根県の一部で栽培を続けていますが、多くの高麗人参は中国・韓国から輸入しています。